井上 順司
INOUE JYUNJI
通信グループ 取締役
1994年入社

井上 順司の流儀

未来に向け50年、100年と通信事業で社会貢献し発展する社会をめざしたい。

学生の頃、サーフィンやスノーボードに熱中し多くの時間をアウトドアで過ごしていました。当時何時何処にいても友人や家族との連絡がとれる「ポケベル」がブームで利便性の高さに感動し、新しいコミュニケーションのスタイルにユーザーの一人として大いなる可能性を感じていました。

学生生活も終盤を迎えた1994年に三和通信工業株式会社との出会いがありました、携帯電話の買い取り制度が開始されたこの年、自身の経験や思いに背中をおされ法人企業対象に移動体通信新規ユーザー開拓担当営業として三和通信工業マンとしての人生が始まりました。ポケベルに始まり携帯電話と自身でメリットを確信していたため少なからず自信を持って取り組んだ営業活動、体験や感動の基盤が50%、そのうえにリサーチ資料や商品資料などのセールスツールを50% 、あわせて100%。これで十分戦えると挑んでみたものの普及期を迎えた移動通信業界の進化のスピードは凄まじく、当時20社近くあった通信事業者から次々と新しい性能やサービスが誕生し過激なシェア争いが繰り広げられ、プレゼンどころかアポイントすらままならない状況に陥っていました。

入社後2~3年の頃は、その波に押されまいと通信コストを最大で40%縮小できる回線乗り換え戦略などで一応の成果を達成したものの限られたマーケットの中ではそこからの伸びしろがなかなか見いだせず「一難去ってまた一難」と上司や同僚に隠れて大きなため息をついていたのを覚えています。とは言うものの通信業界は隆盛で日々発展成長を続けています、様々なユーザーメリットをセールスポイントに多種多様のサービスや商品が溢れていました。多種多様でメリットにあふれたサービス群、どれも自社のアドバンテージを匠に活かしてプランニングはしてあるもののそれを比較検討して結論を導き出すにはあまりにも数が多く同時に複雑で多くのユーザーからは「どれを選べばいいのか分からない」などの弊害も発生し、ユーザーがメリットにたどり着くまでが煩雑で私自身ストレスを禁じ得ない問題でした。しかしこの状況は私に大きなターニングポイントをもたらしてくれました。

自分が面倒(問題)に感じる課題、それは万人に置き換えても同様。「課題に向き合い解決することで、社会貢献と自己成長を同時に達成できる」と気づきをもたらしてくれました。例えるなら街のお医者さんです。様々な患者さんの様々な疾病にマンツーマンで向き合い、病の原因を診断特定し、多くの情報分析と考察交え、一人一人最も適切な治療を提供し改善完治を目指し、さらにその術の蓄積によってより多くの患者さんの支えとなっています。お客様を深く理解し課題や問題に対して最適なプランを提供することで社会での役割を果たす。同時にその構築において自己成長を達成出来ると明確に意識する事が出来ました。少し話がそれましたが、まず最初に取り組んだのが設備機器やシステム、サービスをはじめ制度や法律まで改めて見直し多面的な分析と解析を行い、情報を最適化してよりユーザーフレンドリーな比較表(マニュアル)を作成しました。弊社は通信設備のシステム開発から引き渡しまで垂直統合型の事業スタイルを採用しています、幸いにも当時の自分に必要なほぼ全ての技術や知識が社内にあり、蓄積されたリソースを最大限有効に活用したこの取組で私自身もより強固な基盤が築け、通信設備のオールラウンダーとして皆様から信頼をよせていただけるまでに成長できました。

現在私達のチームは企業法人向け通信設備トータルサポートを担当しています。設計提案、回線やインターネット契約等の手配代行、施工企業との打合せや工程管理、完成後のインストラクションやレポートの提出など行っています。弊社の営業マンは販売、施工、引渡しすべてに関わります。そのため営業はトータルに業務をプロデュースする能力が求められます、一朝一夕で全てを身につけることはできませんがお客様と深く強い絆をつくるのと同様に諦めず手放さずひとつひとつ着実に前進することで成長を遂げることができます。また私自身が成長できたように弊社にはそれを支える風土があります。

通信は人が意思伝達をするために必要不可欠な技術です。創業から46年、通信技術は進化し、固定電話、携帯電話、IPフォン、スマートフォン、TV電話、FAX通信、Eメール、SNS、専用線、インターネット、VPN、等など通信スタイルも大きく変化しています。通信技術の重要度は高く高品質が求められます。長年の経験を大事にし、未来へ向け50年、100年と通信事業で社会貢献し、発展する社会を目指したいと思います。